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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第1回インタビュー 下

●吉元氏について

江上:話は変わりますが、吉元さんとも1970年当時会われたんでしょうか。

下河辺:うん。

江上:ちょっと先ほど話が出ましたけども、まあ日本政府とどうやってうまくやっていくかという作業を彼はやっていた。

下河辺:いやあ、沖縄でまともな会議の第一回目は、労働組合の会議に呼ばれたんです。

江上:そうなんですか。

下河辺:失業率が高くて、産業の立地が少なくて、労働組合として、大変だっていう危機感を持って、全国の労働組合と連合会の会議を開いたんですね。そこで私は、本土で沖縄に詳しい人ってことで呼ばれたわけです。で、呼ばれていって、最後の方になって、何か発言しろって言われたんで、沖縄で労働組合っていうのは、流行らないって言ったから大騒ぎになって、流行らないですまない、っていう。失業者も多いし、って言ったから、私が見ている限り、沖縄っていうのは、失業率が上がるほど、組合の組織率が下がっているじゃないのかと。しかも、そのリーダー達は、国会へ参議院や衆議院へ行くことばかり考えて、仕事の労働市場のために戦うって人が、意外と居ないんじゃないのかと言ったわけです。ただ突然吉元が、実は先生が言うのが本当です。組合っていう形でなかなかいくら努力してもまとまらないって言ったんだよね。本土から行った学者の労働経済の先生達が、みんなへこたれましてね。そいで、なんとなく曖昧なまんま、終わったのが最初でした。

江上:それは1970年ですか。

下河辺:70年ごろですね。

江上:70年ごろ。それは11月に屋良さんに会われる前ですね。

下河辺:前です。

江上:ですね。それは

下河辺:そういうことがあったんで、吉元が私を積極的に屋良さんに会わせたかったんですね。その屋良さんに会わせ方に彼独特の革新系を通じてっていうところが、彼のひとつの仕事なわけですね。一方で私はその西銘さんっていうのが先輩ですから、自民党系からも屋良さんに私の推薦があったんで、屋良さんは両方から推薦がある人って珍しいと思ったんじゃないですかね。

江上:なるほど。

下河辺:私個人はどっちでもありませんって言って、付き合ったんですけどねえ。

江上:それは後にも先にも初めてでしょうね。保守と革新の両方から推薦がいくなんてねえ。そうですか。その会議は沖縄であったんですか。

下河辺:ええ、あったんです。みんな沖縄ですよ。

江上:沖縄でやってその後、屋良さんに会われたわけですね。

下河辺:そうです。さっきも言ったように、1日2日の泊まりで何回も行きましたから。合計30日超えちゃったんで、

江上:住民税を取られ(笑) そのときに、屋良主席とも何回も会われながら、吉元さんとも頻繁に、屋良さんの下ですけどもねえ。会われて、詰めのそういった枠組みの作業を

下河辺:そうですね。

江上:なさったんでしょうか。

下河辺:なんか保守と革新と両方に私が話ができるということは、屋良さんには相当関心があったんじゃないすかね。

江上:それは屋良さんにとっては有難かったんではないでしょうか。

下河辺:ある意味じゃそうでしょうね。

江上:ですよね。屋良さんはどちらかというと板ばさみになっていましたから。

下河辺:板ばさみっていうか、革新系の選挙でやった人ですからね。

江上:そうですよね。

下河辺:だけど、沖縄のためには、それだけじゃダメ。


●吉元氏以外に印象に残っている人物について

江上:それだけじゃダメですよね。両方束ねなくちゃダメですからね。そうすると、屋良さんのそういった作業をまあ、保守も革新も、いろいろと先生と相談して、返還後の沖縄についていろいろとお話されたと思いますけど。吉元さんとかほかに、とても印象に残っている、あるいはその復帰というものに尽力されたということですが、とくに印象に残っている方がおられますか。

下河辺:忘れちゃったけど。大城守さんっていう部長がね。それから、平野さんとか、なんか十何人かいましたよ。それは今でも会食しますよ。

江上:あっそうですか。

下河辺:あの、沖縄の人なんて言ったけ。沖縄の連絡してくる人。坂口さん。

江上:ああ、坂口さん(笑)。NIRAにもいらっしゃった(笑)

下河辺:NIRAに居た人、みんな付き合いありますけどね。

江上:はあ、私、坂口さんとニューヨークにご一緒したことあります。

下河辺:そうですか。

江上:ええ。吉元さんの懐刀だった人ですよね。やっぱり、吉元さんはその頃から、かなり仕事ができた人だったんですか。

下河辺:仕事できたってことを言える以上に彼は保革両方にまたがって、政府と繋ぐっていうことに功績がある人ですね。私は福田さんに吉元っていうのはやれますよって言ったから、福田さんは吉元の繋ぎを期待していましたね。で、内閣としては古川君が全部やっていましたからね。今度は古川が辞めたから、沖縄行って一回宴会でもやったらいいなあと思っているんですけどねえ。


●古川官房副長官について

江上:古川官房副長官ですか。随分いろいろと尽力なさったんですか。

下河辺:随分いろいろやってくれましたよ。

江上:そうですか。佐賀の私の先輩ですけど。

下河辺:そうですか。

江上:私が現在、所属する早稲田大学大学院の公共経営研究科で土曜日の講義を担当していただいています。手当てはいらんから学生と飲みに行きたいと(笑)。学生が実際連れて行って、早稲田界隈で一緒に飲みながら歓談したそうです(笑)

下河辺:彼は本当にできた人ですよ。

江上:そうですか。とても学生に人気がある。沖縄の復帰に際しては、日本政府側もいろんな方々が一所懸命それこそ職も超えて尽力なさった方いっぱいいらっしゃるわけでしょうね。先生もちろんそうですが。

下河辺:その功績っていうのは、古川さんとさっき言った楠田さんと二人ですよ。

江上:そうですか。

下河辺:この二人が縁の下の力持ちで随分動いてくれましたね。

江上:はあ、そうですか。古川さんはどういうときに。

下河辺:いやあ、米軍との関係だってありましたし、いろいろななんて言いますかね。沖縄が四六時中トラブルを起こしていましたからね。婦女暴行事件なんかについても、随分と折衝をちゃんとやってくれたんじゃあないですかね。うそか本当かわからないけど、古川さんが米軍に言ったら、米軍の方が、男ってものは困ったもんだって言ったって、伝わってきて面白かったね。米軍だって管理に困っているわけですよね。

江上:そうですよね。いやー本当に大変だって言っていました。私も、大使館の人に…全部おとなしくさせるなんてとてもできない(笑) 誰だってできない(笑)

下河辺:そうですよ。激しい訓練をすればするほど、女性に対しても激しくなるんでねえ。島津さんなんか襲われたらどうしたかねえ。

島津:本当ですね。

江上:本当です? 動じない(笑)

島津:まあ、基本的に襲われないから大丈夫です。

江上:楠田さんは佐藤内閣の秘書官としてですよね。

下河辺:秘書官の前からですね。

江上:秘書官の前からですか。

下河辺:はい。そういう手柄があって佐藤さんが、秘書官に連れて行ったわけですからね。秘書官になってからももちろん、沖縄をやっていましたけど。最初は産経新聞の記者として派遣されたんですね。それで産経新聞が、どうも佐藤内閣が沖縄返還を始めたらしいというので、楠田さんを取材に出した。それが最初なんですね。


●沖縄への道州制の導入

江上:その頃に戻って、沖縄振興の開発三法案っていうのは閣議決定されていますが、そういう法律の作成とかには先生は関わっておられましたか。

下河辺:そうですね。まあ、私、直接じゃありませんね。その沖縄開発庁がやりましたから。手伝いましたけどね。私は本質的には、沖縄開発庁の設置に反対だったものですから。手伝うのもおこがましいことではあったんですけども。実際に設置されちゃった以上は、活躍してもらわないといけないわけですからね。

江上:沖縄開発庁の設置を自民党あるいは中央政府の大多数が推進したのですか。

下河辺:ええそうですよ。それで援助しようっという発想ですよね。だけど、私は道州制っていうようなことで、沖縄道っていうのを作っちゃって、その開発庁が持っている権限を全部地元に譲っちゃった方がいいって意見だったんですよね。

江上:そうですか。

下河辺:これからまた、だんだんそういう議論が出てくんじゃないですか。

江上:出ています。北海道がすでに。

下河辺:北海道と沖縄は道州制にしたらいいと思うんです。

江上:私も25年間、沖縄で暮らしていましたけども、私も復帰の最初から沖縄州にすべきだったんじゃないかと思います。そうすると、現在の沖縄のような、依存型の沖縄でなってなかったかもしれないと思っていますけど。

下河辺:結局、復帰のときにやった方が良かったという議論より、これからやったらよいという理解の仕方が良いと思う。

江上:そうですか。

下河辺:今までああいう形で基礎ができたから、いよいよ自立して開発庁の権限を全部持った道州制をやった方がいいっていうことを言いましてね。法律ができているからこそ、譲る権限の内容が明確なわけで、開発三法全部地元に渡したらいいんじゃないですかね。北海道と沖縄についてはね。

江上:そうですね。北海道については日本政府も自民党政権もそういう方向でかなり真剣に検討しているみたいですね。

下河辺:いやあ、沖縄と両方とも真剣じゃないですか。いまは。

江上:そうですか。日本政府のほうがですか。

下河辺:ええ。

江上:沖縄についてもですか。

下河辺:沖縄が反対だろうって思っているんです。道州制が。

江上:沖縄からあんまり道州制の声が出てこないですね。

下河辺:むしろ反対の声の方が強いんです。直接政府に世話になりたいっていう感じなんです。

江上:そうですよね。

下河辺:未だに強いし。

江上:強いですよね。

下河辺:基地問題っていうのは、道州制でどういう権限になるか、はっきりしないっていうこともあって、北海道は軍事問題が消えちゃいましたらね。やりやすくなったんです。冷戦時代に、北海道が襲われるなんていう状態だとできなかったでしょうね。

江上:あそうですか。沖縄が道州制に反対だというのは、沖縄のリーダーの方達、指導者の方々ですか。

下河辺:そうそう。

江上:ですね。経済界とか。

下河辺:それは確かに、知識人としても沖縄の軍事問題っていうのをどうしていいか、ちょっとわかんないんじゃないですか。

江上:やはり沖縄の将来については、先生がおっしゃるように自分達で切り拓くくらいの気構えをもっていかないと、と思われますか。

下河辺:他人様に気概を持てってなんて言うことくらい、図々しい話はないね。

江上:そうですね。なかなか言えないですね。面と向かってね。

下河辺:彼らとしたらものすごい苦労をしているわけですからね。

江上:そうですよね、本当に。

下河辺:だから日本が唯一、国家として議論なのは、オイルタンカーの安全保障を琉球列島で確保しなければならないっていう問題だけが残っているんですね。で、南沙諸島にゲリラの基地ができたりして、琉球諸島で日本はいかに安全を確保するかっていうのは現実の問題は、ありますよね。それを琉球の人達に頼まなきゃならない。で、尖閣列島っていう話でもなるわけですしねえ。だけどいま、これだけ平和だと、慌てふためいて、いじくり回すっていうことをしない方が、いいのかもしれませんけどね。

江上:そういうことは、まあ、沖縄の場合はそんなに道州制というのが、沖縄側から出てこない限りにおいてはあんまり無理することはない、ということですかね。やっぱり、道州制に踏み切るまでには、沖縄が抱えている基地の問題とか、さまざまな問題が解決しない限りは、ちょっと、北海道と同じようにはいかない、ということですかね。

下河辺:琉球、沖縄の道州制の面積は、北海道の倍くらいありますからね。そんな大きなのを道州制で収まるかなあ、っていう。何しろ、1000キロと500キロの海に漂っている島々ですからね。それを一括統治するなんていうのは、そんなに簡単じゃあないですよね。北海道はなんてったって大地というか、陸上ですからね。北方四島含めて、やっぱり陸地として、北海道は考えられますからねえ。沖縄は海洋ですよねえ。だから、北海道を大地というとしたら、琉球は大海ですよねえ。大海の統治の方法っていうのは、なかなかないですよねえ。

江上:散らばってますしねえ。小さな島々いっぱいありますしね。

下河辺:国連の統治なんてことになることは、嫌ですしねえ。もう、日本列島なんですから。

江上:総務省あたりの案では、沖縄はとくに道州制とか州の希望はないから、九州と沖縄は一緒でいいじゃないかと、沖縄は九州の一部でいいというような案がすでにできているという話ですけども。

下河辺:それは九州が反対しているから、まとまんないんじゃないですか。

江上:九州がですか。沖縄と一緒になりたくないと。

下河辺:ぜんぜん違う問題になっちゃうでしょう。

江上:そうですか。

下河辺:だっていまさら、なんてか、朝鮮戦争のための軍事基地で、九州はどうするなんて議論します?

江上:はあ。

下河辺:時代は過ぎちゃった。

江上:九州と沖縄は事情が違いますよね。

下河辺:で、島津藩が敵だ味方だって、いまさらやったってしょうがない。

江上:しょうがないですね。

下河辺:沖縄が入んなら、へそは福岡じゃなくなっちゃうんじゃないですか。熊本が中心なんじゃないすか。本来、島津藩のころは、明治政府は、熊
本が拠点ですよね。それを福岡に移しちゃって、もうすでに、琉球と九州ってのは別の地域なんじゃないすか。

江上:行政的には、広域行政、行政ブロックのレベルの事務作業では、沖縄はすべて、いま九州といろいろやっているんですね。

下河辺:それやると、東京は東北と一緒って、話になるわけですね。そうすると、そんなの嫌だって話になるんじゃないすか。だから、政府としてそういうブロック制っていうのはいじれないんじゃないすか。


●ブロック制が良いか、特別県が良いか

江上:ブロック制といった基本的な自治の単位っていうのは、どうお考えですか。

下河辺:原子力発電を含めて九電力っていうのを再編成でもやると、それが動機で道州制のことが議論になるかもしれないね。九電力、いまさら再編成っていうのはなかなかちょっとチャンスはないでしょう。東北電力と東電と一緒になるなんていう、イメージってなかなか難しいよね。

江上:吉元さんをはじめとして沖縄自治労は沖縄特別県構想っていうのは、どうですか。

下河辺:何が?

江上:吉元さんがずっと持論で自治労で言っていた沖縄特別県構想ってありますよね。

下河辺:特別県は道州制ではない。特別の県なんです。何が特別かって言ったら、普通の県の知事さんよりも、これとこれとこれの権限を持つっていうことまで具体的なんです。漠然と道州制っていう議論ではないんです。

江上:道州制はもっと、大まかなものですか。

下河辺:大まかっていうか、北海道庁が持っている権限や琉球、あの沖縄県が持っている権限、開発庁が持っている権限をそのまま渡すっていうところが具体的な第一歩じゃない。渡せないもの、追加するものっていう議論は残るかもしれないけども、基本的にはいまの開発庁の権限をそのまま地元へ移すっていうことで、特別の県じゃないですか。

江上:それはいま、沖縄は開発庁がなくなって、内閣府のなかに沖縄振興局がありますけども、同じことが言えますよね。

下河辺:そう。

江上:可能ですよね。

下河辺:そう。しかし、持てないままですよね。


●楠田氏とのかかわり

眞板:あの、ちょっと前後して恐縮なんですけども、先生と楠田さんはどういう経緯でお知り合いになられたんですか。

下河辺:私? 私は佐藤内閣がいろんなことをやるときに、産経新聞の記者として彼は活動して、取材をしてたわけですね。そのときに、私のところへ
佐藤内閣について取材に来るっていう、チャンスが多かったわけですよ。そして、私が国土を語っていると、佐藤さんがどう思っているかっていうような取材をしていましたね。ですから、産経新聞の政治記者として付き合ったのが最初です。そのうちに佐藤さんが惚れ込んで、自分の秘書官にしてからは、今度、総理秘書として付き合うようになったわけです。

眞板:あの、そのとき先生は、経企庁のどのようなお立場でいらっしゃったんですか。

下河辺:えーと、彼と最初にあった頃は、調査官じゃなかったですかね。二度目の調査官のときですかね。今度、楠田さんの会が開かれるんで、なんか書けって言われて、800字の感想文を書きましたけど。そんなの見ていただくと、私と楠田さんとの関係は分かりやすいかもしれません。

江上:それは何に発表されるんですか。

下河辺:楠田さんを偲ぶ会で、一冊の薄っぺらいパンフレットを。800字でたくさんの人が、書いたんですけど。


●『戦後国土政策の証言』での発言

江上:ああ、そうですか。あと、『戦後国土政策の証言』の中で、私にとって非常に印象的だったのは、下村さんが「沖縄にはいくら投資しても人間がどんどん本土へ逃げていくだけで、産業が興らない。それで、むしろ沖縄にとって良いのは、お金をかけないことだ。そしたら、自然は残るではないか」と言われた。すると先生は、「沖縄の人は出ていかない、沖縄の人々はずっと居続ける」と反論された点です。
 沖縄の多くの人々は、復帰したら、豊かな本土に出ていく、だから沖縄の人口が大幅に減るということを、大方のアメリカや日本の研究者たちも当時、言ってましたよね。その中で、先生だけはそんなことはない、ということを見抜いておられたわけですが、、その根拠は何かあったんでしょうか。

下河辺:沖縄の労働力っていうのは、価値観とか生活様式とかちょっと、本土の労働者とは違うんですね。だから、働いてもらおうと本土に連れてきたら、みんなちょっと違和感があって、本土の労働者と馴染めないんですね。そのうちに、やっぱり帰っていっちゃう人が増えたんですね。

江上:それは、復帰前の時点の話ですか。

下河辺:いやー、復帰してから。

江上:はあ、復帰してから。

下河辺:それでとてもこれは、沖縄で雇用を増やす以外に手がないってことを議論したときに、減らせんのは海外だってことになったんです。だから、グアムへとか、ハワイへとか行ってそういう地域と交流をして、労働契約までして、沖縄の若者をそういうところで、働かせようっていうことを言って、本島に残るのは70万くらいがいいっていうことさえ言ったんで、昔は漁民が出て行ったっていうことで、減っていったんで、糸満漁民というのはそのアジア太平洋地域全体に漁船を持って行って商売して、なかなか地元に帰るっていうことがない人達だから、お嫁さんたちはみんな夫が帰ってくる日を待ちわびたっていう伝統ある糸満漁民ですよね。で、そういう形と同じで沖縄から青年達が、ハワイやグアムなんかの工業なり、サービス産業に手伝いに行ったらどうおっていうことを言っていたわけです。で、残った80万くらいの県民ていうのは、むしろサービス産業で観光とか情報とか医学とか、そういうサービス産業で成り立ったらどうか、っていうのが我々の意見だった、わけですね。そして、現実にだんだんそうなってくると思うんですよ。だから、観光っていっても、なんてか酒が泡盛があって景色がいいなんてんじゃ、とてもダメですから。それでも、第一次振計で成功したのは、200万人の観光をってとこだけ成功したんですね。そのために、その後の県計画では観光客を500万まで広げたいなんていうことを言ったけども、200万に成功したからといって、500万に成功させるためには、新しい観光サービスのものがなけりゃダメなわけですね。そのときは、単なる自然環境だけではダメで、やはり、知的な環境の観光サービスをしなきゃダメっていうことを言っていて、もっともだって言ってんだけど、なかなか具体的にどうしたらいいか、わかんないでいますけどねえ。


●沖縄観光の問題点と可能性

江上:そうですねえ。ま、観光客はたくさん来ていますけども、旅行の費用がどんどん落ちて、たとえば、ホテルの宿泊費とか随分安くダンピングされたりして、それはやっぱり、沖縄の旅行がグアムとかサイパンとかハワイとの競争になりますから、マスツーリズムと言いますか、旅行社、航空会社主導の観光では、観光客は来ても、沖縄の観光業者の人々には、そんなにお金は落ちないという状況が確かにありますね。確かに限界にきていますね。

下河辺:それはしたがって、高度成長期の観光業者の間違いじゃないんですか。お金いくらでも払うよと思って、ああいうもの作っちゃったんじゃないですか。

江上:リゾートホテルとか。

下河辺:リゾートホテルなんていうのはもったいないですよね。で、ひとつも沖縄らしくないすよね。

江上:ええ、そうですよね。施設は上等ですけどね、もったいないです、本当に。

下河辺:上等っていうか、下品なのにお金だけがかかっている感じですね。だから、ちょっと観光業者のやり直しの時期なのね。で、沖縄観光ってもっと安くなきゃダメですよ。昔のようにお金かけて贅沢ななんてそんな時代じゃないすよね。素晴らしい文化を安く接することができるっていう、なんか観光業の大転換期じゃないすか。

江上:そうですね。いまの沖縄の観光っていうのは、沖縄の人々による観光業じゃないですものね。やはり本土の観光業者と航空会社による観光ですよね。だから、私、沖縄の人にも、沖縄らしい観光のためにいろいろ工夫をすべきだと言ったことがあるんですけども。まだ、やっぱり、圧倒的に本土の観光業者が強いから、なかなか改善されないみたいですね。確かに、本当に大きな曲がり角に来ていると思います。エコツアーとかも、ちらちらっとやり始めてはいるみたいですけど。エコツアーはまあ現地の住民の人と交流できるようなことを少しやり始めてはいますけど、まだ大きな力にはなり得ていないですね。先生のおっしゃっる、知的なものが必要だというのは、具体的にはどういうものですか。

下河辺:いやあ、私はさっきの軍の3000キロ5000キロのエリアっていうのを情報化することに成功してんだから、それを財産にしてそういう地域の人達に情報を送るっていう業者ができていってと思うんですね。そうすると、そのセンターってどういうところだろうって、遊びに来る人も増えるし、質問しに来る人がいてもいい、っていう気がするんですね。

江上:もっと情報化社会にふさわしいような、付加価値をもったものですか。

下河辺:15、16世紀の琉球ってのはそういう役割を果たしていたわけですよね。だから、アメリカやヨーロッパからアジアへ船で来る人達は、情報センターを琉球だと思って来ていたわけですよね。香港というものができる前ですからねえ。で、その後、香港ができたり、シンガポールができたり、したわけですけどねえ。

江上:そういうのを目指して、沖縄もそういった国際交流の拠点になりたいと、いうようなことを西銘さん以降、ずっと沖縄は言い続けて来たんですけどね。なかなかそうはいかなかった。

下河辺:ダメなんですよ。

江上:ダメなんですねえ。他の国や地域がどんどん伸びていっちゃってねえ(笑) 沖縄はアジアの急速な発展の中でどんどん置いてけぼりをされて(笑)


●在沖米軍の積極活用と日本政府の有事論の幻想

下河辺:いや、米軍を使わなきゃうそなんですよ。ところが、米軍を使うことを拒否するところから、現実が冷たくなっちゃうんですよね。

江上:米軍をもうちょっと活用したほうがいいのですか。

下河辺:ええ。情報でも医学でもすべて米軍の力を借りたらいいんですよ。で、いまや海兵隊と議論したってそうだけども、戦争のためにいるなんていう気持ちぜんぜんないわけですからね。平和な幸福なアジアを作るために、どんな貢献ができるかって、私なんかにまで聞くような状況ですからね。で、それをやっているっていうと、アメリカのタックスペイヤーとしては、沖縄駐留費を自分達で負担する気にもなるわけですね。無いもしない戦争を有事に備えて、税金払えっていうのは無理ですよね。日本の政府だけが有事論なんですよねえ。有事なんてもうないって前提で沖縄の見直しをすべきじゃないすかねえ。

江上:しかし、日本政府もそういうような形で、ソフトに沖縄にアプローチしてくると、また違ってくるのでしょうか。

下河辺:ええ。相手が違ってくると

江上:まだ日本政府はそういうアプローチをしたことはないですよね。

下河辺:小泉さんが有事、有事って言うから。なんか違和感があって、つながりきれないんですね。

江上:つながりきれないですね。

下河辺:ただねえ、自衛隊を持ちたくないっていう発想が、有事のときのためだけだっていう限定をつけたかっただけだったんでしょうね。だけど、有事がなくなっちゃったら、自衛隊なんで持つのってことになって、なんかこの頃は、地震とかテロとか理由がつき始まったから、沖縄は使わなくて良くなったんじゃないですかねえ。台湾、朝鮮問題だってなくなったし、沖縄も前のように有事っていうテーマじゃなくなったし、

江上:でも、同時多発テロのときは、相当沖縄は観光客が減りました。

下河辺:ちょっと減ったけど、そんなに影響受けないすよねえ。

江上:いえ、あのとき、かなり受けました。

下河辺:それは全体が減ったからでしょ。

江上:まあそうです。全体も減りましけど。その後は持ち直して、いまはむしろ好調、観光客の数としては

下河辺:そうですね。

江上:ええ、いまはまた観光客が戻っています。

下河辺:みんな驚いて旅行しなくなったから、沖縄も減ったけど

江上:そうそう、他のところも減ったんですよね。

下河辺:沖縄は安全だっていうことが、割りに知れてきてるんじゃないすか。

江上:でも琉球大学による沖縄の人々への十年毎のアンケート調査によると、基地を抱える不安が以前よりも増えてきているという結果が出ていました。その結果に同時多発テロが落とした影があらたに加わっているということだそうです。私は少し、意外だったんですけども、これ琉球大学の、、、、

下河辺:その話ですが、、、

江上:はい。

下河辺:怖いって言うのは、テロが沖縄にくるっていう意味で怖がっているってんすか。

江上:テロの標的になると。沖縄に対して、基地を抱えているがゆえに危害が及ぼされるんじゃないかと沖縄の人は思うのでしょう。
下河辺:ぜんぜんそう思わないの。基地があるからこそ来ないの。戦闘基地に向かってくるばかはいませんよ。司令部とか宿舎を襲うっていうことはやりますけどね。だから、ペンタゴンがやられたり、ホワイトハウスやられたりってことはあっても、嘉手納の空港を襲うなんていう、ばかなテロはいませんよ。

江上:県民はよく詳しい状況を知らないっていうのもありますし、漠然とした不安感はまだあるみたいですね。

下河辺:まあ、基地があると危ないっていうひとつの常識がありますけどね。私なんかが見ていると、武装した基地を襲うばかなテロいませんね。武装してない相手を徹底的になんかやっつけろってことはしたいでしょうけどね。

江上:まあ、そうですよね。テロはだいたい、出し抜けに、不意打ちでやって効果があるってことですからね。

下河辺:いま、その思想ってものに対して戦っているわけですからね。武力と戦うつもりはないんじゃないですか。アフガニスタンだってねえ、アメリカの押し付けに対して戦っているんで、武力で戦うつもりはないのに、アメリカが武力を使うから、困っているという状態なんじゃないすかねえ。そうすると、過激派の連中が、あだ討ちに行っちゃうような話になるわけでしょ。


●沖縄県民の対基地感情の変化

江上:でも、沖縄の人の基地に対する感情は復帰後、変わってきていますよね。

下河辺:ぜんぜん違ったと思う。

江上:はあ。

下河辺:とにかく、我々の戦争経験者が死んでいくことがいちばんのテーマね。戦争を知らない青年達の沖縄っていう、そりゃ、まったく違うね。だから、知事選挙でそれが露骨に表れたね。だから、私は知事にあなたは今度、負けだって言ったら、負けると思うけれども、戦争を通じた沖縄の政治家として全うしたいって言うから、それは立派だねえって。

江上:それは大田さんですか(笑)

下河辺:大田さん。そしたら、大田さんは終わってから、やっぱりなるようになったねえって。那覇の戦争を知らない青年の票で負けたんだもんね。古いこれまでの票田の方では勝っているんだもん。だからもう戦争を知らない沖縄なんですよね。

江上:そうですよね。私も琉球大学で長い間、教えていて、若者達の意識は随分変わったことを痛感しました。

下河辺:そうなんですねえ。それを小泉内閣が有事、有事って言うから、うまくくっつかないんですね。

江上:年配の人達は、沖縄戦とかのつらい体験をしている人達は、そういう傷痕を受けた原点に必ず返っていきますから。

下河辺:その傷痕に困っていて、梶山さんが沖縄県民に謝った時期があるんすよね。自分は陸軍で沖縄戦争っていうのに関係したけども、日本の陸軍のやった行為は、許しがたいものであって、戦後終わったから良かったけれども、県民にお詫びしたいって言う発言をしたんすよね。で、それは米軍が上陸してきたときに、逃げ迷った日本の軍がやったことが滅茶苦茶なんですね。略奪はするし、暴行はするし、で、それを梶山さんが謝ったっていうことが起こりましてね。だから、そういう陸軍があっただけに、県民としては米軍が上陸してきたら、優しい人達だったなんていう意見まで出たんですね。チョコレートとチューインガムくれながら、親切にしてくれたっていうことで、暴行事件なんて一部の事件でしかないっていう受け取り方さえ、あったわけですね。そういう間で大田知事はとっても、迷ったんじゃないすかね。どう評価していいかわかんなかった。

江上:先生がおっしゃるように、沖縄も世代が代わっていけば、基地に対する感情も変わってきましたし、将来に対する考えも変わってきていると思うんです。やはり、経済的にいつの間にか日本政府の財政に依存するような形になってしまったが、やっぱりこのままでは、いけないと。依存しないでなんとか自分達で、自分達の手で、自分達の手と足で生活を作って生きたいと、いう気持ちも沖縄の若者たちには随分、あります。しかし、その基地の抱える現実も、いろんな話し合いがもたれて、SACOとかもありましたが、なかなか動かないこともあって、若い人達の間でも、沖縄は将来どういう風になっていくんだろうかという、そういうジレンマとか閉塞状況みたいなのが、感じられますね。

下河辺:それは住民のくせに、あまりにも客観視しすぎてんじゃないすか
ね。

江上:いやーそれは、、、 私の客観的な意見かもしれません。

下河辺:若者達にはそういうと、私は、ばか言うなとお前が何をやるかによって決まるだけで、そんな誰も助けやしないよと。琉球政府に対して、政府は責任を感じている間中、お金は払うけれども、それによって、沖縄が発展することはまず有り得ないと。現状維持するっていうことが精一杯っていう。だから、発展させんのは君達だっていう、話をするんですけどねえ。誰もやってくれませんよ。


●沖縄の若者に海外出稼ぎの薦め

江上:そうですよね。沖縄は戦前、アジア太平洋諸国に随分出かけた。まあ当時の国策でもあったのですが、アジアに随分出て行って、アジアの人達と一緒に生活をともにしていたようですが、あまり最近はアジア諸国に沖縄の人々は行かないですね。

下河辺:今の若者は、海外に出稼ぎに行くっていうことを努力しませんね。だから、沖縄に行って若者に会うと、どうしたらいいかって言うと、必ず海外に行って出稼ぎになれって言いますけどね。そんなことしなくても、沖縄で食えます。なんて話ばっかりでねえ。

江上:私はそのうち食えなくなるのではないかと思うんですけど。米軍統治下の間でアジアとの交流がほとんど途絶えてしまったこととは関係ないでしょうか。戦前は、沖縄から、台湾、インドネシア、フィリピン、グアム、パラオ、サイパンなどへ、大勢出ていたわけですから。で、それが米軍統治下27年間があって、復帰後、再び戦前みたいに、アジアとの交流は起こらなかったというのは、米軍統治下の27年間で遮断されたような何らかの影響があったんですかねえ。

下河辺:遮断というか、繋がりがなくなったわけですね。それまでは、最初に行った人が大変な人で、あとはその人の世話で繋がっていったわけですからね。それが途切れたから、最初の人達、ほとんどいないですものね。

江上:いないですよね。27年間の断層は結構、大きかった。

下河辺:大きいです。これから作り直しですけども、やった方がいいと思いますね。

江上:そうですね。私はかつて琉球大学の学生たちをフィリピンとかインドネシアとかタイとか連れて行ったんですけども、言葉もろくにわからないんですけども、すぐ沖縄の学生たちはアジアの学生たちと打ち解けてすぐ仲良くなるんですよね。

下河辺:そうそう。

江上:だから、ちょっと、私らと感覚が違うのかなと(笑) それで、タイに行ってもインドネシアに行っても、琉球大学の学生たちは、外国に来た気がぜんぜんしないって言うんですよね。昔の沖縄みたいだとか(笑) そういうのは素朴なことかもしれないけど、大事なことではないかなあと思っているんです。

下河辺:そう。糸満漁民がずっと外に出て働いたときの会話の言葉なんて独特なんですね。なんか、漁民言葉みたいなのを作って、やってんですね。なんか水を「あか」なんて言うのは、ま、常識でしょうしね。なんか、船を進めるときも、「ゴー・ヘッド」と「ゴヘイ」ていうのもありますしね。漁民同士通ずる言葉っていうのは、共通に持ち始めているんですね。

江上:昔のほうが沖縄は海伝い、島伝いで繋がって、アジアの中で沖縄は融合してたんでしょうね。

下河辺:そうです、そうです。


●沖縄漁業の可能性

江上:そういう時代をもう一度、再現したいっていう願いが、沖縄の人達の心にありますよね。

下河辺:ありますよ。だから、糸満で私は、その空から魚の存在を那覇に散らせてきて、それをアジア全体の漁民が、インターネットで知って、いわしの群れあそこって行くとか、さばの群れとか、みんな情報化したら、いいんじゃないの。魚から恨まれるだろうな。

江上:もう沖縄の近海から魚がずいぶんいなくなりましたね。

下河辺:そうだよねえ。相当遠くに魚群を見つけないと、漁業の商売は成り立たない、

江上:日本人の漁業は遠く行かないと成り立たなくなっていますね。

下河辺:しかも獲った魚の売り手を探さなきゃあ、商売になんない。沖縄に持って帰ってくるだけの量じゃあ、やっぱり、稼ぎになんないね。

江上:いま、沖縄ではモズクの養殖のように、もっと沖縄の海で、耕す漁業をめざすべきだという意見もあります。

下河辺:モズクが北海道に比べてまずいよ。

江上:そうですか(笑)

下河辺:硬くてまずい。

江上:北海道のモズクはおいしいですか。

下河辺:おいしい。だから、沖縄もだんだんと養殖技術で、北海道と同じようにおいしいの作るんじゃない。

江上:ああ、いまね。量的には沖縄のモズク多いんですよ。

下河辺:多いらしいんだね。安くてね。

江上:安くて、でもまずいのですか(笑)。

下河辺:まずい。

江上:(笑)そうですか。沖縄に帰ったときに伝えておきましょう(笑)

下河辺:私の歯が悪いってことも影響しているかもしれないけど。

江上:ちょっと沖縄のモズクは太いですよね。太いから噛みづらいのでしょうか。

下河辺:北海道のは飲めちゃう。

眞板:ヤマト用の細モズクも作り始めています。

江上:細モズクも作り始めているんですか。

眞板:流通量のちなみに9割が沖縄産です。

江上:細いの?

眞板:細いのもあります。

江上:細いのもある。

眞板:太いのは県内消費です。

下河辺:太いほうがうまいんだよ。だから、細いのだけにしきれないと思う
よ。

江上:ああ、なるほどね。

下河辺:そういうのは、北海道のほうが圧倒的にうまいもんね。

江上:細いので比べても北海道のほうがおいしいですか(笑)。

下河辺:悪口ばっかり言っちゃって。


●沖縄への苦言

江上:いやいや、でも、大事じゃないですか。「良薬口に苦し」ですから。先日、私は沖縄に戻って、公共政策学会の「沖縄の可能性」についてのシンポジウムの司会をやったんですけども、那覇市長さんとか、沖縄の企画開発部長さんとか、牧野副知事さんとかにも話してもらって、その後、中央大学の先生にコメントしてもらったんだけど、中央大学の先生に、「沖縄に厳しいことを言ってください。良薬口に苦し、ですから、びしびし言ってください」とお願いしたら、白熱したいい討論になりましたね(笑)。

下河辺:そりゃあ、そうですよ。

江上:だから、厳しいことを言ってくれたほうが、沖縄とってはありがたい(笑)。

下河辺:地域のフォーラムっていうのは、東京からわれわれが行くのは、でたらめな悪口を言うのが役割ですよ。

江上:そうですよね。

下河辺:そうすると、地元で弁解する先生とが、合意してこうやり直そうっていう人がいっぱい出てきますからね。盛り上がっていくんですよ。

江上:そうです。本当にそうです。沖縄の人は、最近、十分、聞き耳を持っている人もいますから、いまのモズクの話おもしろかったですね(笑) いちばん建設的なご意見をいただいたようで(笑)

下河辺:私はモズクが好きなんで、マーケットでいろんなものを買ってくるけど。やっぱり、北海道のはちょっと高いね。

江上:北海道の海産物は魚にしても、おいしいですよね。

下河辺:慣れているんですよね。だから、北海道の味に慣れちゃったわれわれの偏見でもあるのね。

江上:やっぱり、海産物全体では、沖縄は北海道にはかなわない(笑)

島津:沖縄のモズクが出てきたのは最近ですよね。

下河辺:そうですよ。

江上:もっと品種改良して広めたほうがいいですね。

島津:こちらに住んでいる人の知名度としては、圧倒的に北海道のほうが高いんで。沖縄のブームに乗って、モズクが本土に入ってきたような感じなので。

江上:やはり、いろいろと努力・工夫する価値があるでしょうね。最近は香港とかにも出荷して、中華料理に使ってもらえるように、努力しています。沖縄の香港事務所と台湾事務所とシンガポール事務所がありますね。ああいうところで、一所懸命、モズクを中華料理に使ってもらえるように売り込んでいます。沖縄の県庁マンが、商社マンみたいに(笑)。そういう努力も、まだ小さな動きなんですけども、そういう努力もしています。

下河辺:だけど、中国料理っていうのは、海鮮料理ってのはないんですよね。海鮮料理ってのは特殊な地域の特殊な料理。日本人は海鮮が大好きですよね。

江上:ええ、そうですよね。
それでは、どうも今日は、長い間ありがとうございました。

下河辺:いやいや、何のお役にも立ちませんで。

江上:いやいや、復帰の時のいろんな話を聞かせていただきましてありがとうございました。

下河辺:琉球の勉強を誰かがちゃんとしててくれるといいですよ。

江上:私はいま、早稲田大学の大学院、公共経営研究科にいます。院生はまだ40名くらいで少ないんですけども、その中に、沖縄のことをテーマにする、たとえば環境と開発の問題とかライフスタイルの問題とか、そういうテーマで修士論文を書きたいという院生が数名います。

下河辺:へえ。

江上:私は最初、驚いたんですけどね(笑) 本土の若者が沖縄を客観的な目で見て、その沖縄を研究テーマにしたいという傾向が出てきています。

下河辺:それはいいですね。

江上:私も早稲田に来た意味がひとつ増えたなあと思っています。ひとつのブームなのかもしれませんけれども、ブームで終わってほしくないです。私も今後、沖縄のことに関心を持ち続けていきたいと思っています。

下河辺:是非やってください。

江上:そのためにも、先生からいただいたいろんな資料等を若い人達が利用していくと思いますので、それらの資料は沖縄に戻さなくても東京で十分、活躍するかもしれません。

下河辺:ありがとうございます。

江上:こちらこそ、どうもありがとうございました、今日は。

下河辺:いやーどうもご苦労さまでした。

江上:これからもまた、いろいろ伺おうと思っていますのでよろしくお願いします。

下河辺:この人に言われると、何でもやらされるから。

(了)
(次回は11月4日午後1時半)


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